半沢直樹

 
昨日の土曜日は 孫が通う小学校の運動会

晴天で結構でしたが、当然のことながら運動場には日陰が殆どなく −−
アツアツでした。

黒のTシャツだったのでジンジンと焼けるよう。
写真をとるときだけグランドに出て、後は校舎の裏側で一休み。
そこは涼しい風が通ってナイスでした。





日曜日  話題の 「半沢直樹」 最終回
日本に戻ってきてから数回観ただけですが、なかなか面白かった。

主演の堺雅人を初めて知ったのは 「武士の家計簿」 で
いつも物静かに喋るという印象だったのですが、ここでは随分と違う役を演じている。


ラスト、悪の親玉は常務から平取りへの降格だけ
その手先の子分は左遷でトカゲの尻尾切り −−
半沢は、功あって昇格といった流れの雰囲気だった

が、TVを観ていて、これは出向だと思ってたら −−  ずばり「出向」でした


頭取は行内の融和を優先させたんだろうな。
半沢は デキル けど 組織の和を乱すと判断された?
頭取 も含めて現経営陣の無能ぶりを暴いたから
 −−− 外へ出て円くなれという事なのか ?



現実は、外へ出されて成功している人もいる −− 無印良品 の社長なんか、その例でしょうね。






☆ 日曜 稚魔喜会  は 8人だったとか。
chimaki1 * 会社 * 22:41 * comments(0) * - * pookmark

編集

 23日(金)

朝から雨です −− 終日


夕方4時から、前述の「自動車ドアロック事業の生い立ち」を纏める為の編集会議?を横浜の酒坊(名前は違う)でやりました。


アルコールを入れる前にしてのけようとか言ってましたが、そんなわけにもいかず、飲みながらの会議?になりました。


小生の3文の内、Hな映像をみてたというくだりは、格調高い、冊子には不向きではないかという意見もありました。

採用、不採用 どちらでも良いのですが、固い文章だけでは面白みがないよな。
だから、第二部ということでもよいから、掲載してくれーーー!




編集会議といえば、いかにもという事なんですが −−−
どの雑誌でも 適当にやってんじゃないの ?  誰かから怒られそう。


chimaki1 * 会社 * 21:16 * comments(0) * - * pookmark

アイデア先走り

本日 快晴なり!

今まで寒かったので、庭に出ることもなかったのですが、今日は暖かかった。 

練習マットとクラブを取り出して、久しぶりに素振りを。
単なる運動です。





又 昔モノガタリの続き: 其の3


そう、ずっと以前、本田社用に特段の小形ドアロックを開発、

小生の設計で、我ながら良くできたなというコンパクトなドアロックでした。

それに、従来とは異なったメカニズムを搭載。

キーの車内置忘れで、うっかりドアを閉めてロックしてしまう事を防止する機能です。

従来はロックして、そのままドアを閉めると、ロックが解除するようになっています(セルフキャンセル)。

それをドアを開けた状態ではロック操作ができないようにし、ドアハンドルを引いた状態だとロック操作ができるようにしたのです。

無意識にロックしてドアを閉めるのではなく、意識してハンドルを引いてロックノブを操作するようにしたのです。

現在は電波式でロックをキー付属のボタンを押して行うようになっていますから、この機能も不要になっていると思います。

そして
操作レバーを通常はリベットでバックプレート(基板)にとりつけるのですが、この小形ロックではリベットを廃止(部品削減、軽量化)しようと思い立ちました。

プラスチックボデイー側から円柱状の突起を出し、その突起にレバーの穴をはめ、バックプレートとボデイの間にレバーを挟みこんで組み立てる。

すんばらしい! グッドアイデア!



が、試作してみると、クレームがついた。

試作検討会議で、前述の前田天皇さんが
「カンベンしてくれ!」「良いアイデアと思うけど、とても組立て難い」。


このレバーとバックプレートの間にオーバーセンタースプリングをセットして組み立てるものですから、より組立て難いのです。

現場でやりにくいのは実現化が難しい。

残念ながら、あえなく敗退し、従来通りのリベットでカシメル方式に戻したのでした。




chimaki1 * 会社 * 19:43 * comments(0) * - * pookmark

人力が素


昔々の勤務時代のワダイ



其の2:

ドアロック部門  製作段階の初期は大森の中小企業が寄り固まっている地域にある三和部品の工場の一部を借りてスタート。
間借りの生活です。

当時のダイカスト事業にはプレスとかの設備がなく、プレスについては先行している三和部品の軒先を借りたわけです。

殆ど毎日は残業続きの忙しい日々でした。

その中で、お腹が減るものですから、夜鳴の屋台がくると、工場を抜け出して、ラーメンとかをすするのが楽しみでしたね。

屋台で、おでんとお酒なんてのは 縁がありませんでしが −−−

残業食の準備を会社がするなどと福祉的な事はない世代でした。




この頃はドアロックの開閉耐久試験装置も十分なものもなく、ドアを台にすえつけただけで、何と人力によるテスト。

かわりばんこに手で開け閉めをやって耐久試験をやったのですよ − 今じゃ、こんなことはやらんでしょう。

無論、直ぐにエアシリンダーを使った装置をもうけ、自動で動かすようにしましたが −−



chimaki1 * 会社 * 19:40 * comments(2) * - * pookmark

映写会

以前、勤務していた部門の生い立ちを残そうという動きがありまして、数人の幹事さんが労をとっています。

会社経営数字等の関連事項については、1965年に従来とは全く異なった分野であるドアロック事業へ乗り出すため、ドアロック調査室なるものが新設され、事業がスタートしたことから追って、述べられています。

小生が入社(1963年)し、1964年に大学へ1年間戻り、再度会社へ戻り直したのが1965年。
そしてこの調査室へ配属ということになったのでした。


小生は、そういう記述とは異なった面からのアプローチ、もっと個人的なことに関わる話題を探してみようと思う。



その一:

 品川区大崎工場に生息していた頃、「天皇陛下」との渾名がついていた作業長、前田天皇さんが現場を仕切っておられましたが、面白いハナシがあるのです。

小柄ですが、その頃は油がのった働き盛りの元気な作業長でした。

我々設計者が居る設計事務所(大崎工場の奥にある建屋の2階、食堂の隣)、設計事務所ってカッコイイ!?

その名前に相応しいような面構えではなく、古くて小汚なく、カビでも生えているような建屋でした。
いつものごとく遅くまで残業をしていたときです。

彼が何かをかかえ、この事務所に入ってきした。

設計室の奥に付属している狭いコピー室へ篭って何を始めたのか?

その内、「おい、宮川君!ちょっと入ってこいよ!」「えっ!何ですか?」−− 

何と8mm映写機をまわして、エッチな映像を流しているじゃあーりませんか。

当時は、DVDのような手軽なものはありませんし、個人でパソコンなど持っておりませんから、映像を見ようとなると8mmフィルムを映写機にかけてジーとやらんといけないのです。

当時は、なかなか個人で映写機など持っておりませんから、会社から無断拝借して、映写会をやろうという魂胆です。

会社の残業時間帯(残業代はつけてないと思う)に、こういうエッチな映像を流した人は彼くらいではないでしょうか。

今は全くの好々爺です。

仕事はドンドンと頑張ってやりこなす一方、こんな破天荒なこともやっていたのです。




chimaki1 * 会社 * 22:28 * comments(0) * - * pookmark
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